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大師山 報恩寺の歴史

 応永二年(1395)宥譽上人の開創と伝えられておりますが、下寺であった堤台地蔵尊の本尊の台座にその年代が彫られていることがその根拠となっております。
 報恩寺は、もともと野田市堤台にあって堤台八幡神社の別当として、江戸時代には末寺二十四ヶ寺を有する本寺として、徳川幕府より御朱印状五石を拝領しておりました。現在その御朱印状五通が、千葉県文書館に所蔵されております。しかし、幕末嘉永年間に雷火により諸堂伽藍悉く焼失し、再興の動きもあったようですが、明治維新の廃仏毀釈の嵐の中で、明治三年、寺領であった現在の地に移されたようです。
 山号も変遷しており、堤台時代は八幡山薬師院報恩寺、明治時代に現在の地に移されてからは、地名から西高野山報恩寺、現在は新四国八十八ヶ所霊場を奉安し、弘法大師を本尊としているところから、大師山報恩寺と呼ばれています。